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シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| を見てきました(ネタバレあり)

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見てきました。

ガイナックスおよびカラー作品については、王立宇宙軍 オネアミスの翼からはじまってそこそこ長い時を過ごしてきました。

ネタバレありなので、EVANGELION遍歴を書いておきます。

本放送はリアタイしてましたが、使徒を喰った回でこれはロボットアニメじゃないなと思い離脱。
その後、旧劇場版も完全スルーして、新劇場版から復帰しました。
旧劇の惣流・綾波が人間的なフォルムに描かれていなかったことで、ちょっと見たくないなあとなっていたのです。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版が公開されてから、いままでにEVANGELION関連以外に大きなトピックがいくつかあり、私が拾っているものを列挙します。

・特撮展

巨神兵東京に現わる

シン・ゴジラ

夢と狂気の王国

このくらいです。

 

では、シン・エヴァンゲリオンについて語っていきましょう。

 

公開初日の朝10時台に強烈なネタバレを喰らったので、怒りに任せて翌日見に行くことにしました。

未摂取状態でネタ的に書いた感想はこちら。

カントクくんがモヨちゃんと結婚して、お話をおしまいにできるようになったの、オタクとして本当に嬉しい!

ツイートの体裁を取っていますが、ネタバレ食らわしてきた方にリベンジ砲として発射したものになります。キモオタ文体なのもそのせいです。

 

んで、見てきました。

素晴らしい映画だった。

 

当日の感想ですが、「何もかも巻き添えにして終わりやがった」です。

実際ふざけんなと思う部分が40%終わってよかったと思う部分が60%くらいです。
特に、過去のガイナックスが大鉈を振って切り捨てられたのが、とてもつらかった記憶があります。
この辺、後で雑多なメモを貼りますので、そちらでご確認下さい。

 

現在の感想は、「鈴木敏夫が俺たちからEVANGELIONを取り上げたのでは?」です。

ガイナックス臭が脱臭され、農村編でシンジが生まれ変わり、神話としてEVANGELIONを消費する。
それはたしかにきれいだけれど、誰の望んだ物語なのかはっきりしてほしいのです。

でかい作品群にピリオドを打つための映画として対比する対象は「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」になるでしょう。
あの作品でガンダムを終わらせたはずの富野由悠季は、後日ガンダムを続ける事になりました。

あ、暴走気味ですね。ここで一旦まとめましょう。

 

この下に観劇後のメモを貼っておきます。
未整理ですが、自分なりには整理されています。いちおう頭から時系列です。
後半は考察になっていますね。

 

次の感想は、2回目を見てからになると思います。

エヴァンゲリオンだけでなくいろいろなものが終わってしまった。
最初の会戦でキングゲイナーを殺し。Gレコも殺した。
艦隊戦で宇宙戦艦ヤマト復活篇を殺し。
・どうやってるのかわからないけど、ガルパンがやりたくてできなかったオブジェクトをたくさん配置した画面をスムーズに回す演出ができていた(割と感動した)
いろいろな場所であらゆるガイナックスコンテンツを殺し。
・ヴンダー降下で氷面を割る演出、完全に王立宇宙軍 オネアミスの翼の離床シーンとヤマトの発進オマージュなんだが!?

ストーリー的には、オイディプスコンプレックスの克服と、神を殺して英雄の時代への移行を成し遂げた感じ。
第三陣営として参戦したカヲルと加持リョウジ
シンジによって再構築された世界に、カヲルと居場所はあるのか(多分ある)
カヲルはトム・ボンバディル(指輪物語)だよね?
世界のはじめから終わりまで存在するがゆえに、世界に介入することのできない存在。
マリは何なんだ。英雄の導き手(ヴァルキリーとか、エルキドゥとか)なのかなあ。
カヲルと対のものだと感じたのだけど。
※このへん初回視聴ではうまく噛み砕けませんでした。

カントクくんがモヨちゃんと結婚して、お話をおしまいにできるようになったの、オタクとして本当に嬉しい!
↑観劇前日にミリしらで書いたキモいエヴァのオタクが言いそうなことが普通にあたっててビビり散らかすねこたち。

ふたりともうつを乗り越えて、いろんな人との交流ができるようになって、チーム戦で最高な物語を作り上げて駿のちからも、富野のちからも、山賀監督のちからも感じた。
もう何なんだ。

日本アニメ映画界の総力戦。その破壊力を喰らったと、そういう感覚です。

エヴァンゲリオンはおわったのか?
作中神を殺したのは天使のちからを借りた人間であり、終わったのは神話の時代だから人間の時代をやれって言われたじゃんすか。
人間の時代をやろう。


シンジが唯一食べれたレーションがサッポロポテトのバーベキュー味なのだとして、うつから来たセルフネグレクトによる摂食障害を乗り切ったカントクくんなんじゃねえか(モヨちゃんと結婚してから食べられるものが増えたとか)

シンジが土の匂いを感じて、メンタルが前向きになっていくのリアルすぎて泣いちゃった。
メンタル弱ると匂いはわかるけど、その匂いに気づけないというか、四季の移ろいに興味を失ってしまうというか。
きゅうりが成っていたので、夏なのだと思うけど、世界の匂いが濃くなって、現実が解像度上げてくる感じがやたらにリアルだった。

↑シンジが失語症になったのは公式設定でいいんだよね?

 


今回、過去作にあった子供っぽいところが、特撮周りの樋口パートにしか見受けられなくて、みんな垢抜けたなという思いが。
樋口くんだけがおいていかれてないか?
ガイナックスっぽい、子供の遊び感が脱臭されまくっていた。この辺、宮崎駿および鈴木敏夫の影響を感じる。

NHKで放送されるプロフェッショナル 仕事の流儀のシン・エヴァ回のクレジットに鈴木敏夫がはいっていたため、ヘイトが鈴木敏夫に向いてしまう猫たち。

 

創作物に生理が描かれないのは云々的なここ数日(2021年3月9日ごろ)のTwitterでの炎上に関して、綾波とアスカの哀れさとしてとるか、男性上位社会の産めない女性に対する過酷な扱いとして取るかで、だいぶ解釈割れしそう。
一方マリの生命体としてのポテンシャルが理不尽に異常。
デザイナーズチャイルドではないだろうけど、エヴァンゲリオンに乗ったのは一番最初だよね。たぶん。

TV版で性的なものへの怖れや恐怖をさんざんやった割に、猛烈に脱臭されてた部分かなと。
使徒を喰ってる!! でリアタイできなくなった自分としては、真希波の薬食いとしての共食いは気にならなかった。
感性が鈍麻したのか、薬食いですよとわかるように描かれたからか?

旧劇場版みてないから、旧劇場からスキゾ・パラノあたりの流れがわかんないや。

シン・エヴァンゲリオン見て帰ってきたら、感性が豊かになっていた。観劇中ほとんど目から涙が流れてたからな……。
でもトイレには2回行った。

シン・ゴジラのテーマが生きにくい世の中だけど、力を合わせればジャイアント・キリングできるよ! なのだとすると
シン・エヴァンゲリオンは、お前の目の前の権威は大人か? 自分が大人になれば、世界が広がって過ごしやすくなるよ。
大人になると権威の子供っぽいところも清濁併せ呑むことができるよ。
みたいな感じか?

シン・エヴァンゲリオン見た結果、勇気をもらったし劇場から出たあとリアルの解像度が上がってたから、たくさん心が動いたんだなってわかった。

エヴァンゲリオンTV版は途中で見るのが辛くなって、旧劇場版とかスキゾ・パラノあたりはスルーしているねこです。
しかし、CUTiEコミックは買っていたので、モヨちゃん側から見ていることになってしまったのです。

エヴァンゲリオンの販促物をもらう列が渋谷パルコの周りを3周した事件とかは、パルコの別の店にいて遭遇したりはしているので、あのときの渋谷はやばかったんだなーと思う。
秋葉原ではなくて渋谷なのが感慨深いですね。
※当時の秋葉原はオタクの街すぎて、一般人には踏み込みにくい風潮がありまして。遊びに行くだけでやべーやつ扱いされるような感じでした。

最終局面でシンジがゲンドウを始末したのは、若い庵野を今の庵野が殺し、かつての自分たちが作り上げたエヴァンゲリオンという衒学の固まりに縛られてる人たちを開放するっていう、義務感があったのではないか。
※これはEVANGELIONガイナックスから切り離したい(つまりカラーの作品にしたい)スポンサーや鈴木敏夫の力が働いたと見るべきのような気がする。
 EVANGELIONを神格化することでファーストガンダムになってほしいというわがままというか……(穿ち過ぎ)

 この路線の行き着く方向として、ヱヴァンゲリヲンの新作を待ちたい→ガンダム的モチーフとしての輪廻転生。個人的に避けたい流れは、宮崎駿から庵野秀明への日本最強監督禅定。


本来、受け取り手が勝手に大人になって解決する部分なのだけど、そこに庵野が介入してきたのは、優しさなのか、ファルス(男根)的なオトシマエのつけかたなのかちょっと解釈に迷う。
※私の中の庵野秀明は、ファルス的な解決を描かないイメージが有るので違和感があった。あったのだ。

 
ファルス的な要素の強い作品だった旧劇場版作品群をうまく脱臭して浄化することに成功しているように見えるのだけど、宮崎駿作品同様、消し切るところまでは至っていない。
※これって宮崎駿の臭みを抜いて回った鈴木敏夫が同じ方法論で庵野秀明に擬似ファルスをあたえ、その臭みを消して回ったようにも見える。
 ゆえにガイナックス・カラーの映画にみえないのだ。


しかし、宮崎駿作品ぐらいまで脱臭して、誰でも見られるようにはしたて上げられている。これは明確な成長なのだけど、きれいに覆い隠されたものからまろびでるファルスは、唐突で受け止めきれないから、気づいた瞬間思い上がりや横柄さを感じてしまう。

 

天使として再定義された皆さんと、複製やデザイナーズチャイルドとして定義された二人には、薄い本で活躍する要素がギッチギチに詰まってると思う。
アスカがシンジを好きになることはない、と明言されたけれど、それはオフィシャルの見解であり同人誌が突っ込まれる隙間は死んでない。
シンジは人から生まれた人なのか? よくわからん。人であるがゆえに血縁地縁に守られた英雄になれたと解釈するのがまるそう。

英雄は民衆が求める姿でそこにあることが約束された存在であるがゆえに、(新しい二次創作ガイドラインは策定されたけれど)すきに再定義していいのだとおもう。

 

 

碇ユイって何者なんだよ。

加持リョウジがひとり勝ちしてるんだけど、カヲル・リョウジ陣営が用意し、ヴィレが播種した4thインパクト前の地球に存在する種はどうなるの? グレンラガン(未見)につながるの?

 

 

https://www.isas.jaxa.jp/j/forefront/2009/nagano/index.shtml
宇宙での排熱周り。
護衛艦の主砲である12.7ミリには、通常冷却装置がついているので、アスカ機のバルカンが溶け落ちるようなのはちょっと考えにくい。
慣性を考えると、銃口からヒートパイプで体に近い位置に熱を誘導して、ヒートシンクで熱輻射にして逃がすのが丸いのかなー。

 

そういえばエンドロールに天野正道(作曲家・指揮者)の名前が。
あのひとの指揮は派手でよい。
O.S.Tでどの曲でタクトを執ったのか確認したい

 

特撮展を振り返らないといけないのかな……。
私は特撮展があまり好きではない。収穫はあったけれども。
バッカスIII世号大好き。

 なげえよ私。

この作品が素晴らしい映画であることは確かだし、ネタバレごときに踏み潰される作品ではないのも事実です。

なぜなら神話だから。

神話や英雄譚から力をもらって人間の時代を生きろという普遍的なテーマは、とても古く人気のあるものです。

人類が生まれてから、その力は衰えていない物語の類型なのですから。
新しい神話を作った以上、英雄の時代、人の時代に流し、人間に生きろといって終わるのは美しい。

そこから生きるチカラが湧いてくるのも当然で、そのための物語の骨格(フレーム)が神話なのだともおもいます。

そこに好悪が生まれてしまうのはしかたないのですが、私としては神話であるがゆえに再構築を望みたいです。

ゆえに、EVANGELIONにも続いてほしいというのがせつなる願いです。
そのために、ヱヴァンゲリヲン新劇場版の最新作の席は空いています。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版の最新作がみたいですね!